忍者ブログ
自叙伝『세상에 너를 소리쳐 ~世界に君を叫べ~』 を紹介するブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

                         最高本能 スンリ #3

~難しければ何? 恥ずかしければ何?

僕の父は典型的な自手成家型人間だ。(自手成家→遺産のない人が自力で一家の暮らしを立てること) 

2男3女の末っ子に生まれて両親の世話をほとんど受けることができず育った。 それで幼い

時から自立心が育ち20才になった年には『1人の力で生きていこう』という決心で故郷を離

れて光州(クァンジュ)に辿り着いた。 当時はゴルフが大衆的に広がる前であったのに偶然

ゴルフに接することになった。そして訓練を始めて2年かけプロゴルファーになった。母と

出逢ったのもゴルフ場だった。 母は親戚を手伝いゴルフ場カウンターの仕事をしていた。

そして二人が結婚して1年後、僕が生まれた。

 

 

幼い時、我が家は裕福な方だった。 父の一ヶ月収入が相当なもので、サラリーマンの2~3倍

に達したし、母も別の仕事についていたからだ。おかげで僕は不自由を知らずに育つことが

できた。 僕が習いたいのは何でも習えたし持ちたいのも全部持つことができた。 家にはいつ

も笑いがあふれたし両親の夫婦仲は申し分なく良かった。 だが僕が小学校6年になった年、

状況は一転した。 父が友人の勧誘でゴルフ用品店を始めようとしたのが原因だった。6年以

上の付き合いの友人を信じて同業を始めたが、その友人が事業資金をすべてもって逃げたのだ。

両親が一生かけて集めた全財産が一瞬にして飛んで行った。借金を返すために家を売らなけれ

ばならなかった。 借金取りの電話が一日中かかってきたし、親戚までもが背を向けた状況

だった。 お金の前ではいくら近い間柄も冷酷になるという事実を幼い年齢にも骨に凍みる

ほど体感することができた。 電話のベルが鳴れば家族の顔色が変わり、僕と妹が顔色をう

かがって部屋に入れば居間では間違いなくどなり声が聞こえた。

 

 

引っ越しした日、汚く嫌な臭いが漂う家を見るやいなや僕は泣きわめいた。 僕の涙が両親を

傷つけるという事を知るには僕は幼すぎた。その日から父は酒に溺れた。しばらく父が酒に

酔わなかった姿を見ることができないほどであった。 朝起きれば居間にはタバコの吸殻が散

在していて酒のビンが転がっていた。 何も言わず居間を片づける母の後ろ姿を見る度に父が

憎かった。 僕には世の中の誰より誇らしかった父の姿が思い出せない程に消えた。

しかしそのような最悪の状況でも両親の僕に対する支援は変わることはなかった。

僕は相変らず良い服を着て良い学用品を使ったし、おいしい弁当を食べた。

『息子よ、やりたい事はすべてしてみろ。お前の為には何でもしてやるから。

    苦しいけど・・・。それが私達の望むすべてだから』

自分達の夢や生活が崩壊しても息子だけは最高に育ててやりたくて、一晩中泣きはらし目が

腫れているけど、息子の前では笑顔を絶やさない両親を見て僕は決心した。 二度と両親の眼

が涙で曇らないようにすると。僕が両親の責任を負うと。 たとえ今は何もできないかもしれ

ないが、そのうち僕が両親を幸せにしてあげたいと。

 

拍手[1回]

PR
お名前
タイトル
文字色
URL
コメント
パスワード
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Copyright © TOPWORLD別館 All Rights Reserved
Powered by ニンジャブログ  Designed by ピンキー・ローン・ピッグ
忍者ブログ / [PR]